Blog:こころは麻痺をする

新型コロナウィルスの感染拡大が止まらず、先日首都圏と一部の県に2回目の緊急事態宣言が発出されました。最初の緊急事態宣言が出された2020年4月の全国の感染者数は300人以下であったにもかかわらず、街からは人が消え、マスクや食料などが商品の棚から消え、恐怖と不安を抱える毎日だったことは記憶に新しいですね。そして今年に入り感染者数は7000人以上と爆発的に増加し、第1回の宣言の頃とは桁違いの数となっています。それなのにその時と比べると、街には人が多く行き交っているのを見かけます。また時短営業とはいえ、飲み屋やレストランにも比較的お客さんが入っています。

感染者数で計算をするのもおかしな話ですが、第1回の宣言の頃と比べてウィルスへの恐怖感も20倍以上になっていないと辻褄が合わないような気がするのですが、今回はそこまでの怖さがないように感じませんか?

一体皆さんのこころには何が起こっているのでしょうか。

その問いには、こう答えられるでしょう。「コロナに慣れ、恐怖感が麻痺している」と。今回はこの「麻痺」についてお話ししたいと思います。

人は苦痛な体験、環境とどのように向き合っているのでしょうか。

生き物全般について考えると、どんな生き物も苦痛などの不快な刺激を感じると、そこから逃げる(あるいは闘う)ことで命を長らえるものです。しかし一方で私達人間は良くも悪くも社会化されていますから、耐えがたい苦痛を感じ続けていても、そこから逃げることが簡単には出来ません。

例えばブラック企業に勤めている若い社員のケースAさんを例に挙げてみましょう。Aさんは上司から理不尽に叱責され、かなりの仕事量を抱え夜半までの残業の毎日です。とても耐えられない環境なのに、「よし、今日辞めよう」と即決できません。なぜなら、「辞めてもこの先いい仕事が見つからないかもしれない」、「上司に言い返したり辞めると言ったら、もっとひどく攻撃されるから黙っていよう」、「入ってすぐ辞めたら、ダメな人間だと思われる」…といった考えが、逃げること、すなわち退職にストップをかけるからです。そういう時にAさんはどうするかというと、「このくらいではブラック企業と呼べないだろう、もっと大変な企業だってたくさんあるはずだ」、「残業を抱えてしまうのは自分の経験と頑張りが足りないのだから、もっともっと頑張ればいい」、「上司に嫌われないように愛想よくしよう」といったように、環境を変化させて自分に合わせるのではなく、無意識的に自分の考えの方を改め、環境に合わせていきました。そして退職せずに仕事を続け、その考え方でさらに自分を追い詰め、知らず知らずにうつ病を発症してしまいます。

このように苦痛を感じる環境自体を変えることが難しい場合、人は環境や自分に対する認識の方を変え、環境側に寄せて「適応」しようとします。そして苦痛であるという感情を麻痺させて、淡々と仕事をこなし生活していくのです。この「適応」という言葉には、外的環境に対して自分の方を変化させて、うまく合わせられるようにというニュアンスが含まれているように感じます。それがうまくいく場合は何よりなのですが、あまりに苦痛な環境に無理に適応していく過程においては思考の麻痺が起こり、それが感情や感覚レベルにまで波及してしまう場合があります。

一方皆さんは「PTSD(心的外傷後ストレス反応)といった言葉を聞いたことがあると思います。生命を脅かされるような人災、天災、事故を体験したり、見聞きした後に起こる一連の症状のことを言いますが、その症状の1つに、感覚や感情の麻痺があります。食事をしても味が感じられない、砂を食べているようだといった訴えも聞きます。普段は楽しんでやっていたゲームも、まったく面白味がない、お笑い番組もまったく笑えないのです。これはうつ病の方にも多くみられる症状です。

苦痛な出来事にさらされることは、こころを麻痺させます。そしてその麻痺は感覚や感情面にまで及び、さらには現実感を失い、離人感や解離…といった病的な症状にまで至らせる危険性があります。辛い気持ちだけを麻痺させるならいいのですが、喜びや楽しみといった感情まで一緒になって麻痺させてしまうことが問題で、そうするとどんどんその人らしさが失われ、生きている実感が感じられなくなっていきます。

現在コロナウィルスの感染がどんどん拡大しています。恐怖感の麻痺とも関係するのですが、一方で人には「正常化バイアス(normalcy bias)」といって心の平穏を守るために物事の深刻さを軽視するような心の働きも同時にあります。これは「これくらいなら大丈夫」という認識のことをいいます。

今回のウィルス拡大についていえば、「このくらいでは簡単に感染しないだろう」、「これくらいなら飲み会に行っても大丈夫だろう」といったこの正常化バイアスがあるのか、あるいは「私よりもっと辛い人がいるのだから文句を言わずに我慢しよう」、「まだ仕事があるだけいい、失職した人に比べればこんなことくらいで辛いなんて言っていられない」といったように環境に自分の認識の方を適応させようとしているのか。これらのどちらか一方あるいは両方のこころの働きによって、人はウィルスへの脅威を過小評価し、恐怖や不安、辛さを麻痺させて克服していこうとしているといえます。

しかしこのような未曾有の脅威に対し、平気でいることに少し違和感を感じてみませんか。

自分に苦痛を与えている環境に上手に適応できている、「大丈夫だ」と思えていることが強いこと、大人の対応であるとの風潮がありますが、決してそうではありません。適応できていることが正常とは限らないのです。うまく適応できているように見えて、それと引き換えに自分らしくいきいきと生きることを、知らないうちに犠牲にしている可能性もあるのです。

自分に苦痛を感じさせている出来事に対して、決して「こんなことくらいで」なんて思わないで下さい。頑張らないで下さい。きちんと怖がり、震え、不安がっても良いのです。

自分の不安や恐怖をまっすぐに見つめられることも、強さだと思いませんか。(K)